倭月愛々 過去ログ

 
2003/03/12 (水)

桜平
今日の朝の散歩は我々が居る交流センターのある薬袋(みない)集落の裏山を登った桜平(さくらんていら)へ。
麓から300メートルぐらいの高さを一気に登る尾根沿いの古道(スキーの上級者コースぐらいの斜度かな)を息切らせながら行くと突然開けるなだらかな平地。これは早川町の特徴で、もの凄く急な山道を登ると突然広い土地が開け、集落が目の前に現れたり、段々畑跡の杉林があったりする。

今は杉林になっているが(等間隔に植林されているが適切な間伐がされていないので全体に貧弱な木々)、桑の段々畑があったことがはっきりと判る。4〜50分ほどでここまで上がれるが、毎日この急峻な山を登り桑の葉を刈り取り、何十キロも担いで下りる(ひとつ間違えば落ちるってことに)ってのはとんでもない重労働だったろう。

そのとんでもなく広い平の中程に早川町でも屈指の大きさであったと思われるお社の跡。今は屋根だけが残るが、この場所にこれだけのモノを作れたということが往時の勢いを感じさせる。

木を切るということ
午後は森林組合の方に取材。
毎朝の散歩で古道・けものみちに入ると必ず迷ってしまうほど倒木・雑木・崩壊だらけで山の荒廃ぶりを実感していたので、その辺りを訊ねてみる。
取材対象が僕と歳が近いので、今の荒れた山の状態が当たり前で育って来ているので今の方が少しずつ良くなっているという。森林組合でさえ木の伐採の仕事などなく(安価な輸入材との価格競争力がないため)、イマドキの山師の仕事は荒れた(あるいは荒れそうな)森林の「造林」・「育林」が主な仕事。
木を切れば切るほど赤字になるっていうことは2〜30年で商品になる杉などに関して言えばそれが見越せず、放置した林業政策の失敗と言うことになる。
付加価値の高い木というものはなかなか成育しないからなかなか金にならない(だから高いのだけれども)というジレンマ。
樹勢が衰えるのである程度のサイクルで切ることが健全な森の育成には欠かせないと言う。これから一斉に樹勢が衰える森が増えるので山がますます荒れていくのではないか。
畑と違い自分のやっている仕事の評価が次世代という見えにくいところにあることが山師や山の持ち主のモチベーションやモラルに微妙に影響していることは節々に感じられた。

山に人が入らなくなって低いところまで用心深い生き物たちが下りてきている。里でもカモシカを見かけることがあるという。もちろん、猿・鹿・猪などは当たり前のように里に下りてきている。そして、畑の作物・ホダ木で育てている椎茸などの味を覚えてしまい荒らしまくる。小さい畑で細々と自家消費と小遣い稼ぎ程度の作物を育てていたじいさんばあさんの営農意欲をすっかりそいでしまう。
集落に来た人を最初に出迎えてくれるのが、集落を囲むように害獣対策のフェンスと電流線が張り巡らされ、強制収容所の中に人々が暮らしているような異様な光景。
全てが悪循環している。というか、どんどん里が自然に押し返されているというところか。

mail bbs index top home

this cgi script suported by appleple.com(a-News1.54)